■映画の中の詩と詩人

第36回●鈴木志郎康(1938〜)��

 さて、今度は吉増剛造よりひとつ先輩の鈴木志郎康。現代詩手帳で活躍していたのは吉増と同じだし、生い立ちでも幼少の頃から映画に接していたというところがよく似ているのが不思議だ。

バスに乗っている奴の若い女
はイヤリングをつけている 紅をつけている 下着をつけている
東京だよ
ガラスのコップ
鼻毛の快楽
バスに乗っている奴の若い妻
は帽子をかぶっている バケツをかぶっている 水をかぶっている
鉄骨のビルディングだよ
その間にほの見えかくれ
水仙の花びら
ねずみだよ
流し台の脚をかじる 脚をかじる 脚をかじる
眠れないのは年寄
はまぐり
海の泡

ゴムの手袋
ほらね 脚をかじる 脚をかじる 脚をかじる
リューマチは天気のせいだよ
眠れないのは年寄
隣りの工場のモーター
廻る軸だよ
モートル
バスに乗っている奴の若い妻
黄色い朝
は下着のせんたく 下着のせんたく 下着のせんたく
縁の下にいるのはねず公だよ
流し台の脚が折れた
ひらいた
洗剤の泡はエロチック
若い妻の尻

はよく練れている よく練れている よく練れている
パンの?粉パテ
なつめ
メロン
バスに乗っている奴の若い女はあわてて立った あわてて立った あわてて立った
なんきんまめ
皮のしめった
汗のにおい
口笛を吹いているよ
昼の月
老婆の眼玉だよ

「パン・バス・老婆」

 江戸川区亀戸で生まれたとき実家は木炭問屋をしていた。しかし終戦間際の東京大空襲で焼けていまい、瀬戸物売りの店に衣替えした。

 子供の頃の記憶によると、5、6歳ころ亀戸には昭和館という活動写真館があって、ワーナー・バクスター主演の「奴隷船」(37)という映画を鮮明に覚えているという。

 奴隷たちが船内で反乱を起こしてアフリカやカリブへ行くという筋立てだったという。子ども心にもエロティックでセクシュアルな場面があったことが、強い印象を残したのだろう。

 向島は幸運にも戦災をまぬがれたので、焼け残った建物がたくさんあった。「たちばな館」という映画館もそのひとつで、鈴木は従兄弟からその無料券をよくもらい、黒澤明の「静かなる決闘」(49)や「白痴」(51)を見たと、あるインタビューで語っている。かなり記憶力がいい。

 省線電車(昔はそう言った)に乗って、有楽町のピカデリーまで行ったとき、日比谷で警察の浮浪者狩り(終戦直後は、戦災で両親や家族を失ってしまった子供たちがたくさん増え、行く宛もなくワルに走る事が多かったため、取り締まったのだ)にあって、危うく間違えられて捕まりそうになったこともあったというから、映画への情熱は相当のものだったようだ。

 中学から高校時代には毎年200本くらい見ていたというから舌を巻く。

 63年に8ミリによる5本の短編を撮っているが、橋の上を歩いている女が、落ちている木見つけて拾うと、そこにひわいなアフリカ原住民の写真があって驚いてしまう・・・といったものや、冷蔵庫の中に冷やしておいた粘土で作った男の首にキスをする女::というようなシュールなものが主流だった。

 中には天沢退二郎が結婚するというので記念にしようと、広島の宇品線で蒸気機関車が走っている線路をバックに天沢が駆ける、といったものもある。これなど、2011年に公開されて話題になったハリウッドのスピルバーグ作品「SUPER8」を彷彿とさせる。

 さて、鈴木は大学を卒業すると63年から78年まで、NHKのカメラマンとして「明るい農村」のようなものを撮っていたが、やがて不満がたまり、プロデューサーやディレクターと衝突、結局広島支局へ飛ばされてしまう。

 だがこれがかえって良い結果を生んだようだ。アラン・レネや土門典明などの作品を観る機会に恵まれ、在職中に16ミリで盛んに個人映画を撮るようになった。

 手本にしたのはロマン・ポランスキーの「タンスと二人の男」という短編だというから、かなりペダンチックだ。

 75年に初めて「日没の印象」という、身の回りの家族を中心に映したものがそれだ。

 77年には、200分という長尺の?日記?「草の影を刈る」、退職後の80年には自分で自分を写した「15時間」、81年の「比呂美〜毛を抜く話」では詩人・伊藤比呂美を撮り、84年の「荒れ切れ」は、これも詩人で作家のねじめ正一を記録したもの。こうして次々と「個人」を撮ってゆくことになる。

 このころの作品にはよく広島の被爆者の写真が挟み込まれている。これは広島博物館での原爆の写真にショックを受けたことが影響しているのは明白だ。

 NHKを辞めて、72年に東京造形大学の非常勤講師になったが、ジョナス・メカスの「リトアニアへの旅の記憶」から影響を受けたというから、これも吉増との共通点だ。

 「大学で講義するうちに、劇場で上映する商業映画と、個人的に発表する表現としての映画は違うものだと学生たちに理解させるために、区別する必要を感じた」ことが?個人映画?という形で撮る意識に昇華していったという。

 先の「日没の印象」は、実際に生活している亀戸の団地の窓から日没を撮ったものだが、――普通上映用のフィルムは3点パンチ、4点パンチというものを肩に打っておいて、それが出てきたらフィルムの交換をする時の印にしているのだが――そのパンチを画面に開けて実験映画ふうに見せたりと、いろいろな試みをしている。

 鈴木志郎康の映画については、一通り書いたが、詩との関わりについても書こう。

 8ミリ映画に夢中になっていたころ、天沢退二郎、菅谷規矩雄らの詩誌「凶区」にプアプア詩というものを発表している。

 そのころ8ミリの作品に「やべみつのり」(68)というのがあって、これは鈴木の友人でもあった男が、いろいろなパフォーマンスをしているところを撮影したもの。彼は当時、ある会社のデザイン室に勤務していたことから、鈴木の詩集「罐製同棲又は陥穽への逃走」の装丁をしている。また吉本興業のお笑い芸人矢部太郎の父親でもある。

 他にも現代詩人では佐々木幹郎、福間健二といった人たちも映画に手を染めているが、残念ながら未見なので割愛した。